ビジョンが部下には伝わらないという現実の受けとめ方

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少し前にhatenaでビジョンを部下と共有することはできないという前提で考えるという記事を読んだが、面白かった。

抜粋するとこのあたりが秀逸というか、結論じみているというか、未熟な私にはいわゆる世間に認められる優秀な他人でもこう思っているんだということで安心する部分でもある。

そういう状況を、僕は時々苛立たしく思うことがないと言えば嘘になる。何度言えば解るんだ、と思うこともある。でも真実は、何度言っても解るわけがない、ということだけだ。

けれども多くの場合は時間が解決する。いまは鬱陶しく思っていたとしても、その人物が真に優れた人物ならば、10年後、僕と同じ立場、同じ視座に立った時に初めて僕が今言っていたことの真意が理解できるはずだ。10年経っても同じ視座を得られないなら、そもそもそんな人物とビジョンを共有する価値はなかったのである。そう割り切るしかない。

新人にも、若手にも思いを伝えているつもりだけど、「あぁこいつは分かっていないんだな」という思うことが多々ある。でもそれは私と私の上司の関係でも同じことが言えるに違いない。つまり、上司のビジョンを私が理解できていないということだ(そもそもビジョンがないというのは論外だけれどもw・・・)。

というよりは、多くは「新人にも、若手にも思いを伝えているつもりだけど」という部分がそもそも怪しい。少なくとも私の場合は。プレゼンや文書は如何に他人に上手く伝えるか、を考えるのに、部下にはそこまで考えずにその場で思ったことをただしゃべる、伝わっていないことを嘆くよりも伝え方を考える方が先なのだと最近は思っている。(決して清水亮さんができていないということではなく、一般論と私個人のお話。)

要は「伝える側の責任」も考えなくてはならないし、それが仮に完璧だったとしてもなお(すぐには)部下には伝わらない」という現実を受け止めなければならないのだ。

上司としては歯がゆいと思うかもしれないが、この現実を受け止めた上でどうするか、それを考え続けられる人が将来的に多くの部下を従えることになっていることは揺るがない事実のように思う。