言いだしっぺが言い負かされる主な理由と対策

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最近、仕事納めで先輩と話したことを少し。

不満と現状のギャップ

 組織に属していると色々と不満もあるわけだけど、それはそれでしょうがない。不満のない組織なんてない。自身の理想と現実組織とのギャップは埋めることに一生を費やしながらそれが生きがいなのだろう。なぜならある程度の理想を達成したら、次の理想が出てくるのでそのギャップに終わりがないからだ。
 

不満の解消のためにどう動く!?

 不満の解消のために自身がどう動くのか。それは簡単で自分ができることからやっていくしかない。それは本当に自身が手を動かせることと、間接的に人を動かしてやることの違いはあれど、起点が自分なのは変わりない。でもその辺りは、このブログでも何回も書いてきたし、組織論関係の本でも精神論関係の本でもここかしこに書いてあるのでここでは深追いはしないでおこう。

言いだしっぺが「やれているか」どうかはあまり問題でもない(かも)

 問題は、じゃぁ問題提起をした「言いだしっぺ」はどう振舞っていたか、が重要のように思えることだ。「これからどう振舞っていくか」ではなく「どう振舞っていたか」はあまり本質的ではないように思える。
 私自身も思うのだが、部下や人から何か不満を言われたとき、「じゃぁお前はそれに対して今までどうしてきたの?」と聞くことがある。もちろん大抵の場合、聞かれる。でもそれってどうでも実はどうでもいいことだ。だって、その問題が本当に問題なのかどうかを論じなければならないその時に、その人がどうしてきたか、なんてどうでもいい。確かに「問題に対してその人が何をやってきたか」というのは重要だ。でもそれは全く議論が別の話に過ぎない。仮に図解しながら議論をしていけば分かると思うが、ツリー構造から外れてしまうはずだ。要は、問題は何か、というツリーから、問題への対処のツリーへ話が変わっている。早い話が議論のすり替えなわけだ。
 だから、「じゃぁお前はそれに対して今までどうしてきたの?」という話はナンセンス、と言っているわけではない。それは別の話だ、と言いたいわけだ。順序だてて議論をすればよくて、この辺をないがしろにすると、国会やたけしのTVタックルみたいになってしまう(苦笑)

それぞれの役割で覚悟が必要

 さて、問題を解決するには誰かが動かなければならない。それは言いだしっぺももちろん含まれるべきであろう、普通。ただ、一人でやれることなんてたかが知れている。大抵ややろうとして挫折することがほとんどだ。
 でも冷静になって考えてみると、自分に足りないものと人に足りないものがあるはずだ。乱暴な言葉で言えば「あの人が(本来はこうしないといけないはずなのに)こうしない」という類のものになる。翻って、じゃぁ言いだしっぺの役割は?というときに、どこまでできているかというところが問題だ。問題を責められた側は、心情的に面白くないので、「じゃぁお前は?」という話になる。それが「じゃぁお前はそれに対して今までどうしてきたの?」に集約されてくるわけだ。ここでひるむと論点のすり替えで言いだしっぺの行動不足として収束してしまう。
 こういう議論をする場合は感情的になってはいけない(ってお前が言うなとw)。「お前がやってないから」「じゃぁお前は今まで何してきたんだよ」なんて言い合いは不毛の極みだ。言いだしっぺがこれまで何をしてきたかなんてどうでもいい。大抵の場合、言いだしっぺも言われた側も今までの責務を超えて、覚悟を決めて進まなければならないことがあるわけだ。そこは共同作業になるので、先輩後輩の枠組みを超えて、それぞれが今の立場でどこまで覚悟してどこまで行動できるか、が鍵になる。そこまで合意するというか、納得してもらうのがとても感情的な議論ではむつかしい。本来は図解でもしながら打ち合わせ室でやるべきような論理的なことなのだから。

言いだしっぺのゴールは何なのか!?

 結論としては、こういう議論をするときに、誰が悪いとかそういう話から始まりがちだが、たとえそこに派生したとしても、絶対に抑えないとかなければならないのは、「最終目標がどこにあるか」というビジョンを明確にすることだ。そこさえぶれずに合意ができれば、あとはどう問題が派生しようが不毛な議論に陥ろうが、これから進むべき道筋の問題なので後からどうにでもなる。問題を提起するには、「言いだしっぺの最終ゴールを明確にする」というところがその先の違いに現れるはずだ。
 要は、感情的に「あれが悪い」「これが悪い」というところを言って終わると心象も悪く「で?」で終わるので、言いだしっぺは「こうしたい」ビジョンを明確に語れないと感情的議論で終わってしまうよ、と言いたい。それでも埒があかない場合は言う人が間違っている可能性が高いw

困難と興味はどちらが勝つか

 さて、人は困難と興味がどちらかが勝つか。困難はブレーキ、興味はアクセル、と考えたらわかりやすいが、ブレーキとアクセルを同時に踏んだらブレーキが強い。それはそういうものだ。でも人をワクワクさせるような話(=興味)ってのはとても強い。それは年齢なんて関係ない。優先的アクセルのようなものだ。
 そうするにはどうすればよいだろうか。一般論をいくら正しく言及してもそれは無理。なので、自分の考えを自社のビジネスに当てはめて見た場合にこんなことが出来ると自分で具体的に考えてみて、それが自分でワクワクできるか、が重要だ。そして言われる側の立場から考えてみてワクワクできることだったらまず間違いなく聞いてくれる(その後、行動に移せるかどうかは別として)。
 
 ま、こんなことを仕事納めの日に思ってみました。