リーダーとマネージャーに求めるものは異なる、という話

いやー、ブログをサボりすぎて困ってしまいますね(誰が?)

ちょっと仕事なんぞにかまけて、大事な時期に自分の成長をないがしろにするという愚を犯し続けているわけで、このままだと「こんなはずじゃなかった症候群」に陥る確率が大層上がっていてドキドキw。そんな中、2012年の終わりに大変良い本に出会ったので、リハビリがてら書いてみる。

採用基準

採用基準

 

 最近、「この人は真のリーダーだな」っていう人に仕事で出会ったりしたが、求められているものがどうも人によって違ったりする現実はよくあるので、その辺を整理していければと。

リーダーとは

リーダーとは「成果を出すことを目的として行動する」という原則に従っている。これだけ言うと「あぁそうだね」ってなるかもしれないが、ではマネージャーとは?とか言われて明確な違いが言えるだろうか。恥ずかしながら私は違うとは言えるが重なっている部分も結構・・・とか曖昧に考えていた。

1356145153*マネージャーとは

 本のまま引用すると

マネジャーは管理職です。求められる業務は部下の労務管理であり、組織内の個々の仕事の進行管理や品質管理、そして予算管理です。

 そう、言われてみれば誰もが「そうだね」と思うに違いない。ただ、私が前述したことにも関係するが、「管理に必要な役割」と「成果を達成するための役割」は明確に異なっていて、そこが曖昧になってはいないか、ということがこの本では指摘されている。要は、日本では「管理職はリーダーシップもあって然り」と考えられることが多い上に、「部下にはリーダーシップは求めない」という「マネージャーが疲弊する組織体」が出来上がる可能性が高いわけだ。

 「管理する資質」と「成果を出す資質」というのは混在可能なのかという疑問は実は誰もが潜在的に持っていて、どちらかに秀でていることは間違いなく、高い次元でどちらも同程度にできるというのは稀有な存在に違いない。両方できる人でも、どちらかは誰かに任してもう一方に専念すれば倍の生産性を発揮する可能性は限りなく高いだろう。そこまで組織を最適化するのは難しいのかもしれないが、チーム運営という面でも頭に入れておいた方がよい。

 さて、リーダは成果を、マネージャーは管理を、としてみたところで、組織にはそれ以外の役割を持った人もたくさんいる。それぞれに重要であることは間違いないが、問題はそれらが組織内では、リーダかマネージャーに紐付けられてしまうことである。

調整役

 いわゆるコーディネーター役である。特に日本ではこの役割は重要である。上司やステークホルダと事前に調整したり、今回はこちらが引くので・・・といった貸し借りでトータルで上手く仕事を回したり、といったことがやたらと上手い人は近くにいないだろうか。この役割は確かに重要だが、原則としてリーダーとは求めているものが全く異なる。管理職がこの辺に秀でていればそれはそれで良いと思うが、リーダーにこれを求めると矛盾が生じてしまう。なぜなら、リーダはあくまで成果を出すという原則に従えば、「今回は讓るが・・・」みたいなことを看過できるはずもない。誰かが不機嫌になろうが、怒られようが、成果を上げることにまっしぐらであるべきである。なので有能なリーダの周りにいるメンバは大変だろう。逆に調整役の周りにいるメンバは楽に違うない。ここで考えなければならないのは、調整役とリーダは目的が異なっているので、今必要なのはどちらなのか、ということを考える必要があるということだ。

世話役・雑用、命令役

 何やら幹事のようにすべての事柄を事細かくチェックして云々・・・というような仕事も「リーダ」という言葉が使われたりするが、「成果」ということに立ち戻って、世話役(実は雑用)なのではないか、というところも自問自答しておきたいところだ。こういうことが起こる原因をこの本ではこう表現している。

なぜ日本ではリーダーが雑用係になっていまうのでしょう?その理由は、日本人が「リーダーは組織に1人いればよい」と考えているからです。「1人のリーダが組織運営に必要なことはすべてやるべきだ」と考えているから、、リーダは本来求められている責務に加え、雑用まですべてを担当させれるのです。

この一文はとても重要な指摘をしていて、「リーダなんだからすべて俺がやらなきゃ」と思っている人が多いのではないか、と。かくいう私もその癖があるわけですが・・・。日本の組織体で働いているとこの感覚に馴染んでしまって、実は他人にも「お前リーダなんだからちゃんとやっとけよ」的なことを言ってしまうような悪循環が起きる原因となっているように思う。

 命令する人がリーダというのはさすがに勘違いしている人は少ないと思うが、言わずもがなである。

自身の組織で考えてみる

 さて、さらっと書いてきたことを自身の所属する組織に当てはめてみるとどうだろうか。いや、組織よりもまずは自身の感覚をチェックしておきたい。言われてみるとそうだ、と思うが、実は組織内ではそんな行動はとっていなかったりしないだろうか。自分はあいつをリーダという言葉を使って雑用を任せていないか、とか自分はリーダと言いながら成果を出すことを実は第1にはしていない、とか思い当たることはないだろうか。私は困るほどにたくさんあるw。
 重要なのはこういうことを自分の中でしっかりと意識して、自身のチーム内での立ち位置、そしてメンバの立ち位置/役割を明確に定義しておくことだろう。それはチームの誰にとっても幸せなことに違いない。なぜなら、リーダが何でもやってくれると思っているメンバと、リーダは成果を出すこと以外は任せる、と思っているチームでは役割にどうしてもギャップが出てしまい、ちぐはぐなチーム運営になってしまう。
 自身がリーダになったとき、自分の役割はこうなので、得意分野を利用して、管理は誰で、調整役は誰、ということが可能なチームはきっとうまくいくが、そう潤沢なメンバが揃うチームはなかなかないだろう・・・が役割を明確にしておくことが重要なことには違いない。

「リーダの癖に何もしない」という批判

「あいつリーダの癖に何もしなーんだよな」という言葉を聞くことがあるが、これこそがリーダとしての意識のギャップということは、ここまで書いてきたことで十分に理解できることと思う。

まとめ

 リーダとはなんなのか、もう一度問い直して、自身のあり方を見直しておきたい。自身はどこを目指しているのか、必ずしも一緒にいて楽しい人ではないはずのリーダとして生きるのか、それとも調整役として生きるのか、管理資質を活かすのか・・・。もし社会人経験に乏しいならば、今の組織をよく観察して、上司の立ち位置を図解してみたらどうだろう?笑い事ではないが、実はリーダは存在しない組織があるのかもしれないし、一番多いのは「何となくすべて兼務」という人がいる組織ではなかろうか。