統計学が最強の学問である(その1)
随分前にちまたで騒がれた本を読んでみて、書評を書くのが今になった。先のビッグデータとデータサイエンティストがクローズアップされたことに乗じた本かと思って舐めていたら、予想外に面白く「統計リテラシー」に興味を持たずにいられない。まぁタイトルの釣り具合もなかなかのものなので読んでみる価値はある。特に数学科出身だが紙とペンによる統計学に何も興味を抱かず、成績もイマイチだった私には興味を呼び起こすのに十分な内容だった。筆者の言葉を借りれば「ITによる統計学のパワフルさ」を感じたというところである。今回は、統計の面白さというよりも、ビジネスの世界でデータ分析をどう活かせるのか、活かすために考えるべきことを(その1)としてまとめてみた。近いうちに(その2)として統計学にもう少し踏み込んで統計的リテラシーを身につけるという面白さを書いてみようと思う。
何て書いておきながら、今回は書評というより、本文を引用しながら思ったことを綴っていこうかと。
- 作者: 西内啓
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2013/01/24
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「ビッグデータ」という言葉が流行るワケ
ITはビジネスにとって欠かせないものとなった昨今では、ほとんどの業務プロセスがIT化されている。今後はどうなっていくのか、ビジネスとしてITで武装した集団どうしのせめぎ合いはどこへ向かっていくのか、そんな回答のひとつもここにあるのかな、と思う。
一通りの業務がIT化されてしまうと、ITがらみのビジネスは行き詰ってしまう。いくらハードウェアやソフトウェアの処理性能が向上しても、これ以上IT化すべき業務プロセスはないし、顧客が特に性能に不満を持たなければ、商品を売り込むことはできない。だから、ハードウェアメーカーも、ソフトウェアメーカーも、それらを使ってITのサービスを提供しようとする者も、ITに関わる企業はすべて、すでに満足している顧客に、十分すぎる性能を持った新しい技術を売り込む「理由」が必要なのである。 ポジティブな建前としては、この十分すぎる性能を使って「いかに価値を産み出すか」という考え方が必要になる。またネガティブな本音としては「価値を生み出そうがなんだろうが、大量の処理が必要になる使い道」を提案しなければならないし、それを売り込むためには「一見ビジネスの役に立ちそうなお題目」が必要にもなる。
ここの正直な記述がなかなか面白い。要は技術の進歩によって出来ることが広がったが、その技術を売るための理由が必要で、それには「統計学」の力が必要だということだ。つまり、ビッグデータが流行るということの根本には飽和した市場に何とかして技術を売るために腐心する売り手側の苦労の証とも言えなくもない。ただし理由はどうあれ、マイクロソフトやGoogleも「これからの10年で最もセクシーな職業は統計家」と言っている事実もあるため、そうした企業が主導する以上、本当にそうなっていく可能性は高い(というより大企業側の先導でそうしていくのだろう)。
サンプル数は多いほど良い!?
統計学を駆使する前には事前にデータを準備する必要があるが、そのデータは多ければ良いのだろうか。ここには標準誤差という考えを入れる。標準誤差を説明すると、サンプルから得られた割合に対して標準誤差の2倍を引いた値から標準誤差の2倍を足した値までの範囲に真の値が含まれている信頼性が約95%、という値である。
ほんの1%やそこらの精度を改善することは、果たして数千万円も投資する価値のあるクリティカルな影響を持つのだろうか。その答えがYESならその会社は間違いなくビッグデータ技術に投資を惜しむべきではない。だが、もしNOと答える会社なら数千万円分の投資のうちいくらか、あるいはそのすべてについて、お金をドブに捨てるようなものと言えるのかもしれない。
つまり統計的な「精度の改善」と「投資」のバランスをこの標準誤差によって保つことができる、例えば8000名分の解析程度ならエクセルでできてしまうが100万人分の解析にはビッグデータ技術が必要というときに、その精度は1%しか違わないというならどうする?という判断を正しくする必要がある、ということだ。
あなたの会社にはデータ分析が必要か
「データ解析が必要だ」と思える局面は多々ある・・・がコスト以上の利益を自社にもたらすような判断につながるかどうかが問題である。データをビジネスに使うためには次の3つの問いに答える必要がある。
【問1】何かの要因が変化すれば利益は向上するのか!? 【問2】そうした変化を起こすような行動は実際に可能なのか!? 【問3】変化を起こす行動が可能だとしてそのコストは利益を上回るのか!? この3つの問いに答えられた時点ではじめて「行動を起こすことで利益を向上させる」という見通しが立つのであり、そうでなければわざわざ統計解析に従って新たなアクションを取ろうとする意味はない
自社でもコンサル会社でも良いが、調査結果として提示されたグラフがこの問に答えられるものでなければ、その解析結果は意味がないということは、ビジネスに携わり利益をあげようとする人なら疑いようのない事実だろう。それは、ビッグデータを使ったとしても同じことなのである。ここに筆者は厳しく突っ込んでいる。
あなたが行なおうとしている、あるいは誰かに依頼しようとしている分析が、そもそもまったく【問1】〜【問3】の質問に答えられるものでないのだとすれば、精度がどうとかスピードがどうとか言う以前にそもそもやるだけムダである。
ビジネスを推し量れないデータ分析は無駄だということだ。
製品を買ってくれる人は誰か!?
自社の製品は誰かが買ってくれるから成立するわけだが、誰が買っているのだろうか。もう一歩踏み込むとなぜ買ってくれるのだろうか。それは価値があるからに他ならない。マーケティング的には価値を追求するのだが、本書では当然ながら統計的な検知から考えている。つまり、「なぜか分からないが買ってくれる人」と「そうでない人」の違いをコントロールしようというわけだ。例えば、DMを送付するかどうか、DMを送付するにしても売上を伸ばす顧客とそうでない顧客の違いはなにか、というところをデータを用いて集計できればそれは売上の数%を左右することになる。仮に1%の差でもその違いを明確に見つけることができれば、100億の売上企業では1億売上が増加するわけなので、バカにはできない。こうした何となく、とか経験的に、という部分を明確に数値化して裏付けがとれると今一番何をすべきかという戦略目標が見えてくる。
誤差を考慮する
さて、実際にはこういったクロス集計だけでは中々難しく、「誤差」についての考慮が必要となる。誤差を考慮するとどの程度の誤差までが意味のある数値と考えることができるかを明確化できる。要は、ある条件下で統計をとったとき、その差が本当に売上に影響のある結果なのか、単なる誤差なのかが分かる、ということだ。統計的にはこの「実際には何の差もないのに誤差や偶然によってたまたまデータのような差(正確にはそれ以上に極端な差を含む)が生じる確率」のことをp値という。慣例的にこのp値が5%以下であれば、その結果は偶然の偏りではなく意味のある偏りだと判断できる(誤差とは考えにくい)。本書はこの誤差についてこう書いている。
誤差を理解し、誤差を考慮したうえでも意味がある結果といえるかどうか、という統計学の考え方を身につければ、こうした間違いから解放されることだろう。
どのようなデータを解析するべきか
先ほどの「なぜか分からないが買ってくれる人」と「そうでない人」の違いをコントロールするには「適切な比較を行うこと」と、「ただの集計ではなく、その誤差とp値についても明らかにする」ことを意識すればよい。そうなると次の課題は、何を比較すればよいか、ということになる。つまり、違いを生み出しうる要因を探し当てるには何を比較すればよいかという話に他ならない。
結論としては、「利益をあげる」か「そうでないか」の違いを比較すればよい。それは需要が伸びるか、とか生産性を上げるか、といった要素とも言える。ビッグデータという言葉が一人歩きする中で重要なことは、ここである。データがあるからと言って「ここから何かわからないか」という視点では誰の得にもならないような結果を導き出してしまうかもしれない。それはそれで無用だとは言わないまでも、ビジネスという局面の中においては、直接的な利益になるか(またはそこに至る因果関係が明確なか)が導き出せなければならない。まさしくそれらが売上(等)と比較するデータになるわけだ。繰り返しになるが、どのような関係で利益とつながっているデータであることが分からないままに漠然と解析することは意味がなく、まずはそうした比較対象や差異を得るデータを見つけ出すことが重要になる。
※こう書いていると、結局のところビッグデータブームとやらで一番儲けるのは、データサイエンティストというより、コンサルタントなのではないか、と思ったり思わなかったり。。。
まとめ
ビジネスが飽和する中でのこうしたビッグデータブーム、顧客企業のデータ解析を売りにする意外にも、自社でデータを保持しているのであればそれは解析すると売上があがる結果を見いだせるかもしれない。その際に重要なことは「このデータを利用できないか」というありがちな落とし穴にはまらず、ビジネスのゴール、つまり利益をあげることができる対象は何か、というものを見つけ出すことだ。また、仮にそれを見つけ出したとしても、そのコストと想定の利益との比較をもって実施有無を判断しなければ、有用なデータを見つけたが利益よりも解析コストが上回って赤字、なんて笑えない話になりかねない。あくまで、ビッグデータも統計もビジネスのためであることを忘れてはならない、ということだ。
他人のふり見て我が身をふと振り返る
最近思う部下の教育について少し。
今はちょっと特殊な環境にあるが、今年の4月で2年目を迎える私の部下。そんな2年目の彼を私はとても優秀だと思っている・・・が足りないところももちろんある。(むしろその点の方が彼の年次には合っているのかもしれないが。)
今日、他社の方と飲んでいて、部下への指摘について驚くほど同じ感覚で指導していて驚いたが、ふとこの部下は育つだろうか、ということが気になった。もちろん厳しく叱責することもあるし、同じことをしつこくいうこともある。
が、この他社の方と話していて一致したのは
「本当に理解できているだろうか・・・」
という疑念をもっていることだ。
「厳しくやっているんだけど、部下がなかなか育たない」
近いうちにこんな状況が生まれていたら、私の叱責は単純に「萎縮」や失敗に対する「恐れ」や「不安」を与えているに過ぎないということだ。せっかくの優秀な才能を潰すわけにはいかないが、それゆえの期待もある。
部下が100%正しいことを行わなくても、おおむね正しいことを行えば、それを認めることを心がけなければならない。100%正しい行動とは、おおむね正しい行動の積み重ねである。(ケンブランチャード博士)
心がけます。最近は、反省が多い・・・。
ファシリテート失敗を人のせいにする未熟な自分との闘い・・・
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最近疲れていたと思いたい。疲れからくるイラつきか、イラつきからくる疲れかは分からないが、愚痴っぽい自分がいる。誰もが疲れているはずのこのプロジェクト、自分だけが疲れているわけではない、むしろ周りの方が疲れているに違いない。
そんな日を過ごしながら、何だか漠然としか内容が分かっていない会議のファシリテートをすることになった今日、黙ってふったりしていれば上手く収まるかなぁなんて・・・甘かった。決まらない、終わりの見えない、判断材料がないんじゃないのかと思った、そんな会議。いつしか私はイラついていた。「決めるのは俺じゃない」「直近で困るのは俺じゃない」そう思っていたからね。そんな会議を何とか締め、席に戻ると上司に言われる。
「ちゃんとファシリテートしてくれないと・・・」
とね。イラつきが最高潮を迎えた瞬間、「実際に直近困る人たちが良いというならもういいんじゃないですか?」と言い返した自分がいた。その私のイラつきに笑ってくれた上司、あとから思えば私は反省するばかり。
このレベルでは内容の習熟度とファシリテートはそれほど相関関係がないことは知っている。要は、決めるべき人や困る人を言い訳にしているだけで、決めるべき人や困る人が決められるように困らないように場を上手く進めて、最適解を見出すお手伝いをするのもファシリテーターの役割、人の責任にしているようでは甘いどころか、恥ずかしい限り。上司がそんなことを言いたかったかどうかは分からないが、きっとそう思っていただろう。逆に上司に「ちゃんとファシリテートしてくれないと・・・」と言われなかったら冷静には考えなかったかもしれない。
正直、自分の中では真正面から向き合ってこなかったファシリテーターというポジション、何となく持っている力だけを使ってこなしてきたファシリテーション、今いるポジションはその力を飛躍的にあげるチャンスなのは知っている、ならミッションを超えるところまで正面から向き合ってみようと思う(それもどうなのかとw)。ファシリテーターとしてのスキルをあげる機会が満載の明日をまた頑張ることにする。
稲森和夫さんは言っている。
リーダーには才よりも徳が求められる
私には才も徳も著しく不足している。そんなことを痛感して、また登る階段と対峙する4月10日。
ビジョンが部下には伝わらないという現実の受けとめ方
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少し前にhatenaでビジョンを部下と共有することはできないという前提で考えるという記事を読んだが、面白かった。
抜粋するとこのあたりが秀逸というか、結論じみているというか、未熟な私にはいわゆる世間に認められる優秀な他人でもこう思っているんだということで安心する部分でもある。
そういう状況を、僕は時々苛立たしく思うことがないと言えば嘘になる。何度言えば解るんだ、と思うこともある。でも真実は、何度言っても解るわけがない、ということだけだ。 けれども多くの場合は時間が解決する。いまは鬱陶しく思っていたとしても、その人物が真に優れた人物ならば、10年後、僕と同じ立場、同じ視座に立った時に初めて僕が今言っていたことの真意が理解できるはずだ。10年経っても同じ視座を得られないなら、そもそもそんな人物とビジョンを共有する価値はなかったのである。そう割り切るしかない。
新人にも、若手にも思いを伝えているつもりだけど、「あぁこいつは分かっていないんだな」という思うことが多々ある。でもそれは私と私の上司の関係でも同じことが言えるに違いない。つまり、上司のビジョンを私が理解できていないということだ(そもそもビジョンがないというのは論外だけれどもw・・・)。
というよりは、多くは「新人にも、若手にも思いを伝えているつもりだけど」という部分がそもそも怪しい。少なくとも私の場合は。プレゼンや文書は如何に他人に上手く伝えるか、を考えるのに、部下にはそこまで考えずにその場で思ったことをただしゃべる、伝わっていないことを嘆くよりも伝え方を考える方が先なのだと最近は思っている。(決して清水亮さんができていないということではなく、一般論と私個人のお話。)
要は「伝える側の責任」も考えなくてはならないし、それが仮に完璧だったとしてもなお(すぐには)部下には伝わらない」という現実を受け止めなければならないのだ。
上司としては歯がゆいと思うかもしれないが、この現実を受け止めた上でどうするか、それを考え続けられる人が将来的に多くの部下を従えることになっていることは揺るがない事実のように思う。
あの人に言っても仕方がない・・・
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今日hatenaで20代の社員に「アホは出口さんです」と言われましたという記事が上位だったので読んでみたら面白かった。ライフネット生命の出口さんと社員のやりとりというかコミュニケーションが書かれた記事なのだが、独特の社風が見て取れるし、理にもかなっている。
まずはこんな記述。
60代の頭では、20代、30代のことが分からないのだ、と。当たり前じゃないか、と思われるかもしれません。けれども、私のようになまじひとつの業界で経験を積んでいると、自分の経験のほうを重視しがちになってしまうのです。 ただ、コミュニケーション、とりわけウェブでのコミュニケーションは、その舞台での中心が20代30代です。だったら彼ら彼女らの文法に従うのが筋、というものです。
これは中々潔いというべきなのか、普通は「自分の経験のほうを重視しがち」になって当然である。若手に負けたくない気持ちもあれば自分の生きてきた道を否定されたくもないから。「顧客のことを考えろ」という上司は多いが、そうであれば出発点として「顧客に近い」人材の言うことを信じてみることが一つの選択肢ではある、ということに気づかされる。
もうひとつ。これはちょっと耳が痛いひとがいるかもしれない。
40代半ばから上の、会社で偉いポジションに就いている読者の皆さん。もし皆さんが、会社で「俺は聞いてないよ」という経験を何度もしていたら、それはあなたが、年下の社員たちに「あの人に言っても仕方ない」と思われている証拠なのです。
これはあると思う。下の人間も自分の意見を通すことに必死なことに違いはない。そうであれば話の分かってくれそうなところから攻めるのは当然である。ただ、日本はおそらくよくできた人材が多くて、「俺は聞いてない」を最後まで放置することは少なく、何らかの形、しかもその人の顔をつぶさないように後処理をすることもよくある話のように思う。そこまで深読みすると、気分は悪い状況ではなくても、後から聞くことが多いという人は「あの人に言っても仕方ない」と少なからず思われている可能性は否定できない。
『ビッグデータ』による変化とその備え
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「ビッグデータの衝撃」を先輩に借りて読んだので、ざっくりとまとめと書評的なところを。
- 作者: 城田真琴
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2012/06/29
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ビッグデータって大きいデータ!?
そもそもビッグデータとは何か。本書では次の定義で書かれている。
既存の一般的な技術では管理するのが困難なデータ群
これは、データとしては従来よりも複雑な構造か、あるいは今までのクエリでは応答が返るまでに相当な時間を要するものと考えると良い。
ビッグデータの特性
ビッグデータの特性としては以下の「3V」となる。
- ボリューム(データ量)
- バラエティ(多様性)
- ベロシティ(速度)
ボリュームは言わずもがなであるが、多様性として従来の販売データ/在庫データに加えて、通話履歴、SNSのテキストデータ、位置情報、センサーデータ、動画等々が様々なデータが対象となる。また、Suicaに代表される交通系のICカードが生み出すような発生頻度の高さ(データの発生・更新頻度)も特性のひとつと言える。
BI(ビジネスインテリジェンス)との違い
ここでひとつ疑問が生じる。従来BIと言われた分野はなんだったのか。それと何が違うのか、と。これは結構人と話していても話題にのぼる。結論から言えば、BIはそもそも仕組みのことなので、ビッグデータとBIは1対1には語れない。BIと「ビッグデータの活用」は同じ概念と言える。要は、ビッグデータを活用した洞察の仕組みにビッグデータも活用する、ということに他ならない。そのため、BIはビッグデータにより進化を遂げると言って良い。今までの「過去・現在の見える化」に加えて、ビッグデータを用いた「将来予測」へ進化するというわけだ。
トランザクションデータからインタラクションデータへの変遷(点から線へ)
データの活用は、点から線へ移りつつある。つまり、「モノが売れた」という点の情報ではなく、その背景や相互作用とつなげて考えることにシフトしている。具体的には、購買へ至るまでのプロセス分析等がそれに当たる。そのための必要な情報は膨大になる。
また、注目されていることとしては、今までのウェブ上だけの分析ではなく、オフラインやO2Oでの分析である。これにより、Webと実際の行動との行動分析が可能になる。
ビッグデータのデータ処理基盤
Googleが04年に発表したMapReduceという大規模データの分散処理方式の提言をフレームワークとして実現したHadoopが現在のビッグデータブームを技術面で支えている。Hadoopは膨大な量の非構造化データのバッチ処理に大きな効果を発揮する。
処理を行う部分以外にも、データの保持として従来のRDBMSの課題である「スケールアウトの困難さ」や「構造化されていないデータの処理」を解決すべくNoSQLデータベースの誕生も大きくこのブームに寄与している。前もってスキーマ定義できないようなデータを蓄えるのがRDBMSに適していないことは明らかである。
現在保有するデータの活用
とはいえ、企業は今までBIの名のもとに巨大なデータウェアハウスを利用してきたわけだが、それがまったく利用できずに仕組みが転換するという流れではない。従来のDWHユーザとしてどうビッグデータを利用するかという点では、Hadoopを活用して非構造化データを構造化した後で、それをDWHに取り込み、今まで通りSQLを使って分析するということが可能である。また、そうすることで今まで蓄積されてきた(またはこれからも蓄積される)構造化データとSNS等から得られる非構造化情報を組み合わせて新たな発見を得られる可能性もある。
Hadoopがビジネスにもたらすメリット
リクルートの事例等を見ると、Hadoopによるバッチ処理時間の短縮は単純に教科書的なメリットだけではなく、以下のメリットを享受できる。
- 何度でも要件(仮説)を変更し、トライ&エラーを繰り返すことができる
- サンプリングに頼らないロングテール部分の分析できる
- 開発サイクルが短縮できる
現在、重視されるビジネスのスピードの根幹を支えることができる可能性をもっているとも言える。
ビッグデータの活用例
ここは様々な書籍や雑誌でも紹介されているが、本書での例を列挙すると以下のとおり。
- 商品やサービスのレコメンデーション
- 行動ターゲティング広告
- 位置情報を利用したマーケティング
- 不正検出
- 顧客離反分析
- 故障予測
- 異常の検出
- サービスの改善
- 渋滞予測
- 電力の需要予測
- 風邪の流行を予測
- 株式市場の予測
- 燃料コストの最適化
これらの活用で、消費者の側にもメリットはもちろんある。例えばレコメンデーションでは、一定周期で必要とする消耗品等は時間軸でレコメンドすることで双方にメリットをもたらす。
データをつなげる
政府や自治体などの公的機関が保有している統計データ等をオープンにし、皆でつなげて社会全体で大きな価値を生み出すために共有しようとする取り組みは「LOD(Linked Open Data)」と呼ばれる。あらゆる場所に存在するデータに対し、その量ではなく、それらをつなぎ合わせることで今まで得られなかった価値を得る、そうした動きが広がっている。
公的機関と書いたとおり、対象とするデータも今まで企業が抱え込んでいたデータだけでなく、外部のデータも利用することで様々な分析結果が得られることとなる。残念ながら、日本ではこうした公的機関の情報公開は少ないが、時代の中でこうした動きが加速していくことは間違いないだろう。
ビッグデータ時代への備え
<ビッグデータ時代のデータ活用戦略>
ビッグデータ時代とはいえ、企業としてこうした道を進むかどうかは企業戦略次第と言えるが、少なくともデータを軸に競争優位を目指すのであれば、自社データ以外にも外部データを含めたデータ活用戦略を策定する必要がある。そして、データを軸にするのであれば、「○○という目的のためにはどのようなデータが必要か」というところを明確にするために、○○が何かというところはもちろん明確でなければならない。その意味でクックパッドとアイディーズのデータ連携はわかり易い。クックパッドでの料理検索データ等と実際の食材の購買データを活用し、利用者に適切なレシピが提供できる一方で、スーパー側にとっても食材の購入目的の把握等が期待できるわけである。
<データサイエンティストの活用>
いくらHadoopを代表するデータ処理基盤ができたからと言って、それを活用するのはやはり人間である。そのため、ビッグデータの活用には、価値を生み出す人材が必要である。具体的には、ツールを駆使して、膨大なデータから価値を見出し、それを分かり易く説明し、ビジネスに実装する人材である。これを本書ではデータサイエンティストと言っている。特に今後10年のIT業界にとって最も重要な人材となる可能性がある。
専門的とは言わないまでも、様々な企業において、データを取り出し、処理し、価値を引き出し、可視化する能力は重要になるのは間違いないだろう。自由にデータを取得できる時代であればなおさらだ。
所感
新しい考え方というよりは、上記のとおり、BIがビッグデータの活用により進化を遂げるといえば非常に導入障壁も少なく感じる。とはいえ、やはり大きな課題はデータを分析する人材である。統計学の基礎はもちろん、一般的な分析手法に精通し、データの価値の見出す力=ビジネスの見出す力を必要とする。一朝一夕には身につかないものであるが、他社事例もそれなりに豊富なため、データ戦略を立てるならば、最初はそうした事例をベースにするのが最も効率が良いだろう。要は自社のポジショニングにマッチするデータを見出せれば良い。そのためにも、データ戦略は適切なマーケティング戦略を合わせて語られるものであり、そこが揺らいでいればデータ自体の価値も曖昧となるに違いない。データの活用は目的ありき、まさにそれに尽きるはずである。
- 作者: 城田真琴
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一人一人がリーダーな組織を実現しよう
あけましておめでとうございます。今年も書評をベースに書いていきたいと思います。どうかまたよろしくお願い致します。
先日の書評の元となった本(「採用基準」)に感化されて、今年は「リーダーシップ」に焦点をあてて、自身も部下や上司も含め、それぞれがリーダとなりうる組織の実現に向けて努力しようと思います。
先日書いた書評以外にも同書では気になった記述が多々ありましたので、それをベースにそんな組織作りについて少し語ってみようと思います。
決断の後には問題が噴出する
決断するのはその必要があるから。問題が決して発生しないときまでじっと待って結論を出せればよいが、それは決断ではなく結論でしかない。問題はあるかもしれないが、前に進まなければならないときが来たら、決断しなければならない。なので、十分な議論や準備よりもタイミングを重要視し、そのあとに問題が噴出することはある意味想定内として対処すべきである。逆に言えば、問題が噴出したから悪い決断だった、という結論にはならないはずだが、往々にしてそう言われることも少なくないので、リーダーはその覚悟と責任を持つ必要がある。
組織としてはリーダにすべてを頼るのではなく、こうして問題が噴出することをメンバとしても想定し、一緒に解決することが重要になる。要は、その問題解決にも、リーダはもちろん、メンバのリーダーシップが問われることとなるわけである。
リーダーがなすべきシンプルな4つのこと
個人個人が以下の事柄を意識していく必要がある。
- 目標を掲げる
- 先頭を走る
- 決断する
- 伝える
これについては返す言葉もないという感じだが、本書の表現が実にしっくりくるので引用しておく。
目標を掲げ、先頭に立って進み、行く道の要所要所で決断を下し、常にメンバーに語りかける。これがリーダーの求めれている4つのタスクなのです。
まぁみんなで先頭を走ることはできないじゃないかという反論には、適材適所だったり掌握する範囲は個々人によって違うので、同じ分野で同時にみんなで先頭を走るということではない。それは他の事柄も同様である。
組織としては、各メンバがどこで先頭を走るのかということを決めるとそこから責任も生まれるのではないかと。
バリューを出す、成果を生む
リーダに限った話ではないが、組織の大小あっても成果を出すことが重要なのは言うまでもない。しかもそれはある時から急にできるという訳でもないため、普段からの自身の行動や部下の教育にちりばめておかなければならない。具体的には、ごく短い時間単位で「どんなバリューを出したのか?」を問われ続けることで仕事の生産性を向上させていく。よく会議で発言しない人は必要ないというが、トンチンカンな発言をするよりも良いのではないかと思っている人がいるかもしれない。しかし、トンチンカン発言は、ある意味場を混乱させ、よりよい結論を導く助けになる可能性がある。何よりその場にいる人が本当に同じ方向を向いているかを再確認できるかもしれない。可能性の問題で言えば、何も発言しないよりはバリューを出している(可能性がある)わけだ。
本書ではこんな事例が紹介されていた。「とりあえず最初は資料を読んでおいて」と言われて読んだ後、自分はそれによってどんなバリューを出せますか?、と。「資料は理解しました」ではバリューを出せていないことは明らか。。。そういった常にバリューを意識することが成果の重要性の理解や成果にこだわる姿勢が身につくのである。
会議でリーダーシップをとる
出席者に限らず、誰に何を確認したり依頼したりするのかを決定しておく。具体的には次の事柄を対象者ごとに決めておく。
- 議論したいこと
- 依頼したいこと
- 調整したいこと
- 決めたいこと
※それぞれ上記の事柄を誰にという軸で2次元表を作っておいて、会議の冒頭と最後に確認するとよいと思う。
これらの目標を時間内にすべて達成できるように話を進めることができるようにすることが会議のリーダーシップである。
自分にあったリーダーシップスタイルを決める
リーダーもスーパーマンではないので、どんな分野でどのようなスタイルを目指すのか、というところを考える必要がある。とりわけ、一人一人がリーダの組織を作る場合、被ったスタイルと異なるスタイルをうまく配置した方がきっと生産性は高い。また、強引な手法が得意なのかそうでないのか、というスタイル(タイプ)も配置には重要なため、その辺り自分はどうなのか?というところは強く意識しておく必要がある。そのためには自分は周りからどう見えているか、という部分も聞いてみたりして情報収集しておくと良い。
1人のカリスマではなくリーダの総量が重要
リーダーは一人いれば良いということはない。それは日本政府で考えればわかり易い。総理大臣にカリスマが現れればすべてうまくいくだろうか。そうではなく、その脇を固める人材もそれぞれの分野でリーダーシップが必要である。つまり、組織は1人のリーダではなくうまく配置された様々なリーダの集合体であるべきである。
日本の総理大臣が度々変わるのは、国民がカリスマを求めているからか、または総理を固める周辺の人間がうまくリーダーシップを発揮できていないということが言えるのかもしれない。
次の文章はなかなか心に残るものだった。
一人でしかも短期に何もかもをうまくいかせてくれるリーダたる人を待ち望むこと自体が幻想だという事にまず我々が気づかなければならない。
変わる組織とはどういう組織か
大企業病のように長く組織に巻かれていると中々人は変われないというが、組織としてどんな組織は変われるのだろうか。新しいリーダが必要、ある意味それは当たってるかもしれない。でも前述したように新しいリーダー1人では何も変えることはできないことは明らかなのである。であれば、いわずもがな変われる組織とは、自分たちで変わる意思のある組織と言えよう。本書では次のように表現している。
変わることができるのは「問題を解決し、今までとは異なる未来を作り出すのは自分たちだ。それを率いてくれる新しいリーダがやってきた」と考える組織です。(中略)構成員の中にも「自分がこの現状を変えていく」という意識を持つ人が一定数いて、初めてその組織は変わることはできるのです。
リーダーシップは突然発揮されない
これも前述したとおりなのですが、本書から引用で。
日頃からごく簡単なことで日常的にリーダーシップをとっていなければ、非常時に「自分で判断し、結果責任をとる覚悟をもち、指示を出せる人」、すなわちリーダーシップを発揮できる人には成り得ません。
最後に
今年は、自身はもちろん、こういうリーダーシップをとれるメンバで構成される組織を意識した足固めをしていきたいと思っている。
色々と書いてきたが、重要なことは優秀なリーダーが入れば万事うまくいくということではなく、メンバである自分もリーダシップを発揮しなければ、何もうまくいかない(可能性が高い)ということだ。その意識をメンバ一人一人に意識付けていくことが一つと、そのために自分が先頭に立ってそれらをやり遂げることだろう。(ここからすでにリーダーへの道は始まっているw)。逆に言うと「自分が変えなければ」と思いすぎて実行することは、周りのリーダーシップを奪うことにもなりかねず、うまくいく可能性が下がるとも言える。
本書にも書いてあるが、「TPP問題では日本に不利な条件を飲まされる可能性があるから参加しない」ではなく、「TPPで日本に有利な条件を勝ち取るにはどうすべきか」を考えて決断/行動し、日本国民を率いていくことが真のリーダーシップなのである。そして我々国民一人一人も、そうしたリーダに任せるだけではなく、仕事という枠を超えて、日本国民としてのリーダーシップとは何か、ということを考えなければならない、そんな局面にいるということを意味している。
そしてそれは一朝一夕に獲得できるものではないので、簡単なことから、しかも日常的に、を意識して日々バリューを出せたかどうかを韓げていく必要があるだろう。
追記
正月の兄弟の集まりで、兄と組織の話をしていると、「リーダーに全員がなれるはずはない。どうしてもそうなれない人はいるんだ。」と強く言われて考えた。確かに今までは自分もそうだと思っていたし、蟻だって2割は働かないという。2:6:2の法則というものがあるわけだ。ただここに書いたのは、誰もが100人を引っ張るリーダーになれというわけではない。リーダーにはそれぞれの範囲があって、部下がいなくてもリーダーとして振舞うことは可能であるのではないか。リーダーというから怖気づくのかもしれないが「リーダーシップを発揮する」と言えばもっとハードルは下がるように思えなくもない。ただそれでも兄の言うように一定数はどうしても発揮できない構成員もいるかもしれない。でも、ではそういった構成員がリーダーシップを発揮するようにするにはどうすれば良いか、それを考えるのもまたリーダーの仕事であることに代わりはない。
- 作者: 伊賀泰代
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