「週間少年ジャンプ」に見るマーケティングの基本!






サンデーはちょっと大きく離れていますが

ジャンプとマガジンでも100万部も差があるんですね。







そもそもジャンプはマガジンやサンデーよりも後発、

実に9年遅れての創刊です。



そんな状況でも、たった4年で発行部数1位になり、

94年には650万部という驚異的な数字を残しています。



この理由は

実は緻密なマーケティング戦略にあります。







少年ジャンプが創刊された68年、

ちょうど団塊の世代が読者層にあたります。



ところがその時代、

マガジンには強力な漫画がありました。



そう、「あしたのジョー」、「巨人の星」という

今でも語り継がれる超人気漫画が掲載されていたのです。



また、その時代にはいわゆる人気がある漫画家は、

既に既存の雑誌等と契約が結ばれており、

ジャンプで書いてもらうこともできない、

という状況もありました。





そこで少年ジャンプの編集部は考えます。



新人漫画家の「発掘」と「囲い込み」です。



少年ジャンプには新人漫画家を登用し、

しかもジャンプと専属契約を結んだのです。





さらに漫画家だけにストーリーを考えさせるのではなく、

編集者を漫画家に貼り付けて

マンツーマンで考えるという方式をとります、



第3者の視点という意味ではそうした編集者のみならず、

読者アンケートを実施し、

人気のない漫画は10話で打ち切る、

あるいは思い切ったストーリー展開に変更といった試みをしていっています。



また、その時代の読者アンケートからは

「友情・努力・勝利」を色濃く出した方が人気が出ることを突き止め、

そうした要素をふんだんに盛り込むようにしていったのです。



そうした戦略が功を奏し、

本宮ひろ志サラリーマン金太郎の著者)などの人気漫画家が生まれ、

ついに創刊2年で、100万部を達成しました。



その3年後には少年マガジンを追い抜き、

80年代にはご存知「ドラゴンボール」、「北斗の拳」などの

ヒット作品を連発、



そして前述の通り、94年には650万部という

空前の部数を記録するに至ります。






市場の脅威としてのマガジン、

しかも人気漫画家は契約できないという局面、



そこでそうして状況を逆手に取った

新人漫画家の「発掘」と「囲い込み」戦略、



時代のニーズに合わせて、

打ち切りやストーリー展開も考えるというのも

当時としては思い切ったものだと思います。



実にその状況を良く理解し、

弱みを強みに変えていったその考え方は

基本に忠実に市場機会を発見しにいったと言える物です。



現在、650万という数字には遠く及ばないものの

300万弱を誇る「少年ジャンプ」、



その歴史と考え方は

とてもマーケティングの勉強になるケースです。