政治が報道されない時代に、なぜ都民までもが橋本府知事の実績を知っているのか

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政治に関しては不案内ながら思うことを少し。

政治不信?マスコミ不信?

 政治不信とはよく言うが、実は「政治がどうなっているのか」という点については分からないことが多い。そんなことは昔から言われていることで改めて論じることでもないかもしれない。でも事実、新聞を見ているだけでは分からないのだからあまり時代は変わっていない。政治が正確に伝えられていないのに、それに対して信じるもなにもないだろう、ということで、個人的にはマスコミ不信という方が正しいのではないかとさえ思う。
 政局というのはワイドショー的には面白い?面白かった?かも知れない。でも実際、やれ言った言わないだの、やれ漢字を間違っただの、そんなことに「政治家としてしっかりやって欲しいですねぇ」なんてコメントしているのを聞いていても何の政治情報のインプットにもならない。そもそも、どういう情勢の中で何の目的でその議論は始まり、結果がどうで、政治としてどういう方向へ進むのかをしっかりと伝えてくれればよいのだが、そうはなっていない。なので最近はテレビは見ないということもないが、斜に構えてしまう。要はマスコミ不信なわけだ。

※ 政治家にしても何にしても個人の率直な意見をまともに聞けるものとしてはやはりその人自身が書いた著作物を見るのが一番だ。そういう意味で紙媒体の本というのはなくなって欲しくない。

府民はなぜ橋本徹氏の実績を知っているのか?

 先の27日、大阪で大事が起こった。橋本氏率いる大阪維新の会が大勝してしまった。ワイドショーを見ていると橋本氏をヒトラーになぞらえる方までおられるようで、現状維持派VS改革派というとても世間的に分かり易い、マスコミ的にも良い題材だったように思える。
 経過はどうあれ大阪は変わることを選択したのだ。この判断の根幹には橋本氏の実績が大きく寄与したことは間違いない。府知事としてなんだかんだで実績を残したその功績が評価されたと言って良い。ではなぜ、府知事としての彼の実績を私という東京府民も含めて知っているのだろうか。あんなにマスコミは政局しか報道しないのに、だ。そそもそも歴代総理の実績を知っているだろうか。今になって麻生元総理の実績とかが出てきたりしているが、当時は「漢字が読めない」報道が大半(言い過ぎ?)だったようにすら記憶している。鳩山元総理の実績、菅元総理の実績、ご存知だろうか?きっとワイドショー的な事件は知っていても、実績については知らない人が大半ではなかろうか。
 そんな中、1府である大阪の府知事の実績をなぜ府民は知っているのか。それは橋本氏の巧みな戦術にある。そもそも「独裁」とかがクローズアップされているのは橋本氏の巧みな戦術にはまっているように見える。実際には独裁ではないと思うが、汚い言葉やマスコミに取り上げられる材料を巧みに使い、自身のやろうとすることや実績を知らしめるように上手くマスコミを利用してきた。彼は、もともと弁護士であるが、テレビに引っ張りだこだった期間に、どういう発言や流れが視聴者の感情を刺激するかを感じたのだろう。テレビ局は数字で動くので、視聴者の感情を刺激することには良くも悪くも数字を刺激することとして取り上げるに違いない。そうこうする内に、まんまと橋本氏に利用されたカタチとなっている。この場合、どちらも損をしていないので橋本氏の試合巧者というところだ。

政治と行政

 この時代、口八丁だけでは生きていけない。よくTVタックルなどで民主党の政治家が「口だけじゃないか」と攻められて「やってます。xxxという法案を今出すところです」なんて応戦しているが、残念ながらそんな報道はされない。「民主党は官僚の言いなり」だの、「民主党は組織の動かし方を知らない」だの揶揄されてるだけなので、国民は肝心の政治がどうなっているかさっぱり分かっていない。「やっています」といってもそんな報道はされていないので本当に官僚と戦いながら一生懸命やっていても国民には伝わっていない。マスコミは今や政治報道をできないのだから民主党も今やそれを前提にことを進めるしかないように思える。
 でも政治はそれでは済まされない。国民に注目されていようがいまいがしっかりやらなくてはいけない。正直なところ、官僚主義からの脱却というのはある一面では的を射ていると思っていて、そこを脱却すれば色んな道も見えてくる。そもそも、国と地方とかの線引きを見直さなくてはもはや色々と太刀打ちできないのではないだろうか。官僚主義が根本の問題なのではなくて、必要なところには必要なだけ官僚が必要だ。もっと言えば行政には官僚が必要、それは間違いない。政治は政治家がきっちり方針を示す必要がある。その方針にのっとって責任をもつ組織が行政を行う。その大前提の中で役割分担をきちんと整理して、誰がどれだけのタスクと責任を負うのかを明確にすればよいのだけれども、いかんせん官僚はもちろんそれを嫌がる。仕事がなくなるのだから当然だ。
 以前、道州制が盛んに議論されていたが、最近はあまり(特にテレビでは)見なくなった。地方の行政にまで首を突っ込もうとしてタスクオーバー状態になり、内面的な問題に政治家までが追われ続け、結果外交とかそのあたりがおろそかになり、そうこうしている内にマスコミに揚げ足をとられ「何もできない」レッテルを貼られた後失脚する、こんな失敗をいつまで続ける気なのだろうか。まさしく今の政治と行政の仕組みの維持という方針自体が、次世代への問題の先送りなのではないだろうか。