卒業アルバムを見て、当時の先生方の相関図を考えてみる
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昨日、『マルモのおきて』のスペシャルの録画を見ていて、マルモの学生時代の後輩とかが出ていたので、ふと高校の卒業アルバムを開いてみた。意外なことに一番目についたのは先生方の写真のページだった。
教科の並び順はどう決まっているのか?
私の母校の場合、よく見るとこんな順番だった。
- 国語
- 社会
- 数学
- 理科
- 保健体育
- 芸術
- 英語
- 中国語
- 家庭
- 養護
- 実習助手
- 事務
- 茶道
- 華道
- 警備
- 日直
一見すると、主に常勤の先生で構成される教科と主に非常勤の先生で構成される教科で一線があるように見える。実習助手あたり以下は非常勤なのではないだろうか。毎日見る先生方ではなかった気がするのでおそらくそうだろう。一番の説明難は、英語である。国語、社会、数学、理科ときて、誰もが次は英語を予想することだろう。でも現実は保健体育だったりする。主要五科目という観点からすると違和感を感じずにはいられないが、「外国語」という枠がもともとなかったということを考えると、伝統的にそうなのかもしれない。英語、中国語は外国語としてカテゴライズするためにそうなっているのかもしれない。まっ、このあたりはそう気にしないでおこう。(さんざん言っておいてww)
教科ごとの先生方の並び順
これは意外と昔から意識していた人が多いに違いない。教師としての経験や年齢の降順に大方なっている。・・・があくまで大方であって腑に落ちない点もちらほらある。そのルールに従わないのは、まず先頭の先生。おそらく教科主任であるので、40代前半あたりのバリバリの先生がいることが多いように見える。その右から年功・経験序列的な並びとなっている(ように見える)。そして教科ごとに右端に明らかに不自然な年齢・経験のある先生がいる場合は、定年後の非常勤再雇用だったりするはずだ。しかし、腑に落ちない教科が唯一つ。保健体育である。ここは体育大出身の先生も多く、みえない序列があるせいか謎が多い。一般体育、柔道・剣道、とかの区分も複雑に絡み合っているのかもしれず、ちょっと説明ができない。
職員関係
そう、これがこのブログで言いたかったことだ。あの頃には分からなかったことが多く想像できる。だいたい高校の頃、友人たちと言っていたことは、
-
- 「A先生とB先生、仲悪いよね」「合わなさそうだよね」
- 「C先生の教え方意味分からん、D先生がよかった」
- 「E先生、何かいいよね」
- 「F先生、授業はイマイチだけど、聞きに行くとめっちゃ分かりやすく教えてくれるよ」
とまぁこの程度である。この先を考えたことは何もない。・・・が今先生方の写真を見ていると、そんな過去の記憶から相関図が書けそうだ。
組織に関するものでいうと、
-
- 組織に反発してでも自分の教育方針を貫く
- 組織に上手く対応しながらどうにか自分のやりたいようにもっていく
- ひたすら組織に従順
- 組織を完全に無視する(評価は気にしない)
というカテゴリに分けられそうだし、単純な人間や教え方でカテゴライズすると
-
- 仲がいい、が教え方・考え方は別
- 仲がよく教え方も共通 = 教育方針に共感できている
- 仲が悪く、特に気にもしていない
- 仲が悪く、何かというと衝突している(か避けている)
- なるべく仕事をせずに帰りたい(だって厳しい評価があるわけでもないし給料変わらん)
- (ほとんど金にならない)部活にも一生懸命取り組む
などなど。
あとは、もうすぐ定年とか、新参者とか、同大出身で妙な序列あり、とかなんだか色々ありそうだ。
まとめ
我が母校で言えば、今思うと、この先生は自分のやり方を反発されながら貫いていた芯のある凄い社会人、とか何とか上手くやろうとしているけど上手くいっていない人とか、もう色々諦めた人、とか一般の社会人組織にある大きな相関図たるものが見れてかなり興味深く見ることができる。言えることは、教員の世界は公務員である意味特別だけれども、社会人組織として変わりはないので、社会で組織の難しさとか感じていると、自分が学生だった頃の先生方の関係はどうなっていたか、と今の立ち位置から想像するのは中々面白く、しかも意外と分かり易い。きっとあの先生は苦労していたな、とか思うと、ちょっと会いたくもなりますな。
ちょっと余談 −教員について思うこと
だいぶ話しはそれるが、教員の世界は部活を持ったりすると土日出勤とかなったりするが、手当ては微々たるものである。1日千円とか聞いたことがある。確かに国家公務員宿舎の問題とかいろいろあるが、仕組み自体が時代にマッチしていないのは間違いない。良いところもあれば、悪いところももある。マスコミが悪いところだけ取り上げて改善しろというのもあんまりだと思わないでもないが、出元が税金なのでやはり世間からは厳しい意見もあるのはしょうがない。ただ、それでも世間から何といわれようと教員の安定感は抜群である。給料は安定しているし、よっぽどのことがない限りは解雇もない。そんな教員の門戸たるや今は非常に広い。まず教員免許の取りやすさだが、普通の4年制大学なら、教育学部に行かなくても、ちょっと教員用の科目を受講して、教育実習に2週間ほど行けば卒業時に教員免許がついてくる、というくらい楽に取れる。確かに採用試験が・・・という話は良く聞くが、芸術枠はさすがに厳しいだろうが、主要5教科なら場所(地方)さえ選ばなければ採用はなくはないはず。意外に東京都は生徒も多ければ精神力も地方より必要とされるためか、教員の入れ替えも多く採用されやすいと聞いたことがある(真実かどうかは分からない)。また、世間で言われる「不適合教員」たる烙印を押されるラインも企業よりはまだまだかなり低く、最悪一旦その烙印を押されても、研修でちょっと心を入れ替えれば復帰可能な印象がある。後は、残業手当がないので、がんばって働くだけ損、という意識が働くのはしょうがないような気がしてならない。ちょっと前なら、教員の給与水準は高く、残業代も含まれているというのもまかり通ったかもしれないが、民間より低い現状では精神的なところで手を抜きたくなるのはしょうがないのではないか。というと、「いやいや、ボーナス水準がとか、給与の上昇率とか、そもそもやっぱり高い」というやっぱり恵まれているということも承知なので、問題は適切な運用というか教員という仕事のメリットとデメリットを上手く運用する仕組みが時代にマッチしていないという1点につきるだけである。