自分が伸びる場所はどういうところなのか

ITの世界で生きていると、最近は下請けの問題とか技術力の低下とかいろいろといわれ続ける。それはそれで本当に問題であって私も否定はしないが、「で、どうするか」という部分になると一歩踏み出せないでいる人が大半かな、と思う。(もちろん私も含めて)

最近、ビジョナリーズサミット2011で中島さん(life is beautifulの著者)の話を聞いたけど、確かに日本のモノづくりの構造として「稟議書」を書く人がものを作れないという問題は確かにあると思う。それは、「その人が勉強していないから」とかそういうことではなくて構造的な問題、つまり作らせて貰えなかったり、仕様書を書くという仕事しかやらされないという構造があるから。

でも新人や若い人と話していると、「早く上流工程が担える人材に」みたいな抱負?目標?をよく聞く。これは「上流をやれる人こそが」みたいな刷り込みの結果だったりする。「提案のできるSE=上流工程ができるSE」みたいな構図が何気に出来上がっているのかな、と。じゃぁプログラミングをできる人は提案ができないか、というそんなことはないはず。でもそういう精神がないならひたすら人より効率的にコードが書けるプログラマになればそれはそれで稼げるかと。

中島さんは、良いものを作るなら
「こういうものを作っているんですけどどうですか?」
という単純明快な思想を持つべきと言われていたが、私も最近そう思っていた。

何ていうか、きっと「こういうもの作ったら売れる」、「こうすればよいのに」、「こういう売り方なら売れるのでは?」とか言うのは簡単だし正論であることが多い。なのでちょっと考えれば「そうすべき」なんて解は誰でも簡単にたどり着く。しかも、反例があればなおさら「だから最初から思ってたんだよね」みたいなことは往々にして多い。

※中島さんが言っていたのはここで書いていることとはちょっと違くて、例えばスマフォ関連でいいアイデアが浮かんだとして、稟議書を書いてあまりスマフォを理解していないような人が正しいOK/NGを出すってのもあれだし、稟議を書く時間とか通す理由を一生懸命考える時間がもったいないので、プロトを作ってしまって使ってもらって「もっとこうしろ」とか言われながら作り上げていくほうが良いものができるじゃん、って話。

だから

「売れると思ったんでこういうもの作ってみました、どうすか?」
「こうしてみました、どうすか?」
「こういう売り方でちょっと試してみました、どうすか?」

なんて組織の一員としてはちょっと強引と思われるくらいのやり方でいくべき。じゃないと人の心は「いいね」(その意見には賛成だ。で?)で終わってしまう。この「こんなんどうすか?」精神ってこれからとても重要になってくし、停滞感のある組織では特にそれがないともうやってけないみたいな状況になるはず。

後はそれができるかどうか、っていう話がもちろんあって、それには世の中の流行とかそういうものに敏感に反応したりすることも必要だし、技術だって追い求めないといけないし、しかもそれを実行できる精神力も必要だし、って求められることがとても多くなる。

組織というのはそういうものをやれる土壌がどれだけ自分に合っているかが問題なんだと最近思う。自分の所属している組織には、多かれ少なかれ不満はもっている人は多いかもしれないが、要は自分のやりたいことに対してどれだけその組織を利用できるかってことなのではないかと(上司もそう)。もちろんお金を貰っている以上Win-Winの関係である必要があるわけで、「自分のやりたいことを否定するからダメ」なんていうのは論外。

そういう目線で自分と所属する組織を見たときに、自分が今いる場所が自分が伸びれる場所なのかどうか、そこは定期的に眺めておかないと数十年後に家族に「こんなはずじゃなかったんだけどね、お父さんも若いころはこんな夢があったんだよ」みたいな昔話で終わってしまうんだろうね。

自戒の意味も込めて。