オックスフォードにあって東京大学にないもの

 オックスフォードにあって東京大学にないもの、それはカレッジ(学寮)という仕組みとそこで行われるチュートリアルという個別指導中心の教育である。逆に東大にあってオックスフォード大にないのは、単位制と単位取得を目的とした(大人数の)講義形式の授業である。ここに両大学の教育の違いが集約されている。
 チュートリアルとは個別指導。週に1回1時間、学生2〜3人に1人の教員がついて行われる。そこでは毎週、何冊もの文献の購読が求められ、教員から課された課題に答えるレポートを毎回執筆して提出する。文献の要約ではなく課題に応じた分析と自分の考えを書き表すものだ。そのエッセイをもとに毎回教員との間で質疑や議論が行われる。これを通じて分析力や批判的思考力、まさに「自分で考える力」が育つと考えられている。
 このようなチュートリアルはカレッジ制によって支えられている。カレッジとは専門分野を超えて教員と学生とが学びを生活を共有する学問共同体である。すべての学生はいずれかのカレッジに所属し、そこに住み、自分の専攻に応じてカレッジ所属の今日委員を中心に個別指導を受ける。各カレッジが豊富な資産や寄付金など財政的にも独立しており、そのため決め細やかな個別指導が可能となっている。
 東大生とオックスフォード大生の差、それは入学後の伸びしろにある。多くの講義を聴くことを中心とした学習と、多くを読んで書いて議論する教育の違いは、徹底して考えることを教育の中心に置いているか否かの違いでもある。また、オックスフォード大の学問共同体としての多様性にも注目したい。多様な外国人との交流は、ワールドクラスの議論の場となりうる。
 東大が世界に貢献できる人材の育成を目指すには、講義中心の学習の限界に気づき、何をどれだけ読ませ、書かせるかがカギとなる。

というのは東洋経済のオックスフォードと東大の比較に関する記事の要約ですが、
私の過ごした大学/大学院の6年間はもちろん講義主体でした。
(東大ではありませんが・・・)

しかし、こと専門分野に関しては
毎週毎日多くの書物を読み漁り、調べ考え、解を持ってゼミを挑んだものです。

でも専門以外はどうだったかと言えば、
何気なく講義を聞いて、「優」がとれるほどにレポートを真面目に書いて、
くらいが関の山だった気がします。

なので、大事なのは、グローバルな世界と日本の世界では
卒業と同時に差が出ている、ということを認識しておくことだと思います。

そこの認識さえあれば
後はどうするのかは個人の自由、

それでも良いのか、
嫌ならどうするのか、
を考えることができます。

じゃぁ、それを認識せずに大人になってしまったら、
別に遅くはありません。

社会人でも勉強はできるし、
意欲だけを考えれば学生時代よりもあるかもしれない、

多くの人がこういう意識をもって
少しずつ考え方を変えていけば
それが社会は変わっていく、

そういうもんです。