中間管理において身に着けておくべきチカラ

最近、同期とチラッと飲む機会があって思ったことなど。

同期のライバル

今「同期だから」という意味でライバル視するような同期はいない。きっとそれは入社以来、同期と一緒に仕事をするような機会がほぼない境遇にあったことも関係しているかもしれない。個人としては同期を意識する必要がなく、興味をもった人とか目指す力をもった人を個別にライバル視している。技術なら・・・管理なら・・・、といった感じで。そういう意味ではある一つの点でライバル視している人が同期であることはある。唯一一人。(矛盾しているが「とはいえ同期でなかったらライバル視はしていないかもしれない」と思うことはなくもない)。その人をライバル視する一点、それは明白だ。その行動力が群を抜いているからだ。「優秀だ」なんて訳の分からない抽象な意見では片付けるこはできない。考え方が合ってるとか間違っているとかいうことは関係なく、とにかく行動することに意義があるという点では社内で一二を争う存在であることは間違いない。

目指すものの違い

そんなライバル視する同期と話していて思うのは「もっと会社をよくできないか」という思いを持っていることにある。なのでその点ではとても頼もしく思ったりもするのだけれど、現場の最前線で活躍している彼と間接に近い部門にいる私とではやはり考え方が違うところも多い。もちろん私も現場経験は皆無ではなく不定期に現場に出向くことはあるので、現場としては理解できる意見も多いが、一歩引いたところや彼の担当する仕事以外のところでは勝っている自信がある。それはどちらがいいという問題ではなく、視点の違いなので、どちらかというと今後もそういう関係でいったほうが将来的にお互いに良い仕事ができると思っている。ある意味、どちらかがつぶれないならば将来的に良い関係を築けるだろう。

「自分でやる」ということの功罪

もう一度言うが、彼の行動力は群を抜いている。周りの普通の社員では彼にはかなわないだろう、たぶん。要は責任感と覚悟と決定するというチカラが圧倒的だ。でもそろそろそこに落とし穴も見えてくる。「やり過ぎる」という功罪である。これは残念なことに年次を重ねるごとに罪過の部分が増してくる。人も育たなければ、徐々に周りが動けなくなってくるからだ。そのため、「功罪相半ばする」という表現に遅かれ早かれ近づいていく。これは彼のことを言っているのではなく、いわゆる「優秀で行動力がある」人全体に言えることかもしれない。

中間層としてやるべきこと

今、私や彼も含め、同期はちょうど中間層にいる。中間層としてやるべきことは多い。いわゆる、技術としても下を先導し、管理としても上の代理を務め、その上、下の教育責任も問われる。でもそんなことは分かりきったことだし嘆くことでもない。それが求められているのならばそれをやるまでだ(文句を言いつつもww)。でもこの段階で考え始められることはかなり多い。人を先導する/纏め上げることの難しさ、色々な人がいることに気付かされる。そして上のしがらみ、上司も見えないところで戦っていることに気付かされる。モチベーションを保つことの難しさ、重要な責務や過度なストレスによって視点を狭窄されない強さ、などなど否が応でも学ぶ場としてはこれほど良い立場はない。(ストレス耐性はかなり必要とされるため、教育として「学ぶクラス」と見たときには実地訓練が厳しすぎる感はあるけど・・・)

中間層として身に着けておくべきこと

そんな中間層から意識して身につけるべき重要な力が一つある。上をコントロールするチカラである。世間ではボスマネージメントとか言われるが、社内であまり語られることはないし、評価基準にも確かない。行動力には二つある。「自分がすべてやっちゃうよ」という行動と「人を動かしてやっちゃう」という行動である。若い頃は前者でかなりのことができてしまうし、その方が手っ取り早い。ただ、そのやり方は上で通用しなくなると思っている。中間層の早い段階はそのチカラを養うところとしては最適な場所だ。どういうタイプの人をどういう言葉でくすぐりながら自分のやりたいように上手く動いてもらうか、というところは若いほどにやりやすい。そして、そういうことを繰り替えす内に、上もそうしたラインで動きやすくなってくるはずだ。その辺りは上司との見えない駆け引きが存在することになるが、上司の性格なんかにも依存することが多く正解はない。唯一ついえることは、上司も人なので「お互いにメリットがないと動かない」ということだ。自分を犠牲にしてでも何ていう人は奇特な人だ。最終的に人は人の評価で生きているので当たり前である。なので「あなたの役割はこうなんだからこうしろよ」といっても無駄で、その人が自身の役職の役割をこなしているか否かに関わらず、現状よりもギアをあげるのは明確なメリットが必要になる。それは会社的には評価かもしれないが、そこは下にはどうしようもない。なので学ぶべきは「気持ち」の部分になる。誰しも「こんなはずじゃなかったけど仕方がない」という気持ちを持っていたりする。それは、自分ひとりではできないけど・・・という思いであることが多い。「正しいことは正しいけどこんな事情があってね・・・」というところだ。そこは下は汲み取ってあげるべきだし、そこを一緒にやるという意識の方がすべてに上手くいく。上はただやりたくない訳ではない。「やりたいけどできない」か「やっても自分にメリットがない」というどちらかの事情があるはずだ。そこをつき動かすのはもう気持ちである。正直に「これをやってもxxさんにメリットはないかもしれないですが、どうかこれを今私にやらせてください」と正直に真摯に訴える場合もあれば、「これをやるためにはxxさんの協力がないとできません」と一緒にやる感を演出するか(厳密には演出ではなく本当にそうなんだけど)。そこを「お前じゃ役不足だから俺やっとくんで黙って見といて。っていうか本当はお前の仕事だぜ」なんてやり方は遅かれ早かれ必ず行き詰ってしまう。

まとめ

実力至上主義、それはそれで個人的には嫌いじゃない。人を成長させる原動力になっているところは多いからだ。とはいえ、アメリカのようにそれが当たり前の社会であっても、いやそういう社会ならなおさら、メリットがないことに首を突っ込む気にはなれない。でもメリットだけではない。要は「共感させる」ことが重要なのだ。ここで言う共感とは「そうだね、俺もそう思う」程度の共感ではなく、「やっぱりそうだよね、俺も何かできないかな」というレベルの共感である。前述した ボスマネージメントの根幹は結局ここにあると思っている(もっと言うとそれはボスだけではなく下も同じだけれど)。この「共感させるチカラ」、中間層でこそ気付く必要な力であり学べるチカラだし、将来的にそのチカラの必要な比重はどんどん上がっていく。そのためにはどうやってそのチカラを獲得していくか、人によって違うとは思うがそういうことも下に伝えていくことのひとつであることは間違いない。