誰でも使えるサービスは誰にも使えない 〜「汎用的」の意味するトコロ

chibicodeさんの「コーラの競争相手はペプシではない」のエントリにのっかって最近思うことをつらつらと。

競合は誰?

競争相手、いわゆる競合と言われます。「競合他社の動きは?」とか良く聞かれます。でもマーケティング的に言えば、競合他社ってもう考えが狭すぎるのだと思ってやみません。「客はドリルが欲しいのではない。穴をあけたいのだ」というレビットのあまりにも有名な言葉がありますが、まさにその通りで穴が開けさえすれば客は何でも良いのです。もっと言うと穴を開けなくても目的が達成できれば良いわけで、じゃぁ客の目的ってなんなのさ、というところを真剣に考える必要があるのかと思います。

穴を開ける目的は?

穴を開ける目的は何か?これは人によります。なので一様に「ドリルが欲しい人」なんていう括りで括ってしまうと今や何も見えなくなります。F1層のような幅広い層がターゲットと言っても開発し難いのと同じです。なのでそこはもっと踏み込む必要があります。
 例えば極端な例を挙げると、穴を開ける目的が暇つぶしだったとしたら、これはもう大敵です。暇つぶしの競合たるや、Wiiかも知れませんしFacebookかもしれません。Google+かも知れませんし、PS33DSか、テレビか雑誌か、ガンプラかもしれません。競合はそれはそれは壮大なの顔ぶれが出揃います。そんなターゲットに手にとってもらってさらに継続的に使ってもらうなんてどれほどの難しさがあるのでしょうか。少なくとも個人の力では神がかりなアイデアでもない限りは難しそうです。でも極端な例としながらも実際はこうしたことは多いのではないでしょうか。

やらざるを得ないことに絞る

生きている限り何かしらやらざるを得ないと思っていることがあります。意識的・無意識的を問わずです。なので、「暇つぶし」という強敵を相手にするよりはそういうところに目を向けた方がよいのではないでしょうか。つまり、「印刷する」とか「保存する」とか「電車に乗る」とかそういうところです。実際「保存する」というところは色々なサービスが目を向けています。「電車に乗る」はさすがに難しいですが、乗らないで済む方法はないか、ということです。そんなの無理だよ、といわれそうですが、「目的地の近くに住めばいい」という解もあります。そのためには引越をしなければいけないのだければそれはめんどくさい、何でめんどくさいかと言うと、場所を決めたり、荷物を梱包したり、業者を手配したり、なんていうところでしょうか。そうやって掘り下げていって最終的なところを解決する、そういうことの繰り返しです。

ターゲットはかなり絞られる

今の時代、汎用的なサービスや幅広い人に使えるというのは逆に仇になります。それは「使う人がどう使うか決めてね」という要素が敬遠されるからです。書い手はその商品が何をしてくれるのかが一目瞭然であって然るべき、くらいに思っています。様々なサービスを目にしたり使ったりすることによって書いての目はもの凄く肥えたいるわけです。なので、前段で書いた「電車に乗らないで済む方法」というところの先に「荷物梱包サービス」があっても不思議ではありません。重要なことは、

  • 問題の解決方法が導線でつながるように見せる
  • ターゲットの絞りすぎを怖がらない

ことなんだと思います。つまり、「電車に乗りたくない」という話と「荷物梱包」を上手く連携させて客に見えさせる、潜在意識の見える化です。ここは広告やパンフレットの領域かもしれません。そして、ターゲットの絞りすぎを怖がってはいけません。とかく、絞るとそれだけ買う人が減るわけだから機会ロス、という考え方はこれだけものの溢れた今の時代にはマッチしていません。思い切って絞る方が売り上げが伸びるでしょう。その方が鋭く顧客の心に響くはずです。

まとめ

競合とは何なのか、で考え始めたこのテーマですが、結局「製品を使うのは誰なんだ」というところを突き詰めて考えると答えは見えてきます。「ドリルを使う人」では競合はドリルメーカーとなるのでしょうが、「地震対策をする人」(棚を固定するため)とすると競合は家具メーカーかもしれませんし、実は電子書籍サービスかもしれません(本棚要らず)。そこまで突き詰めて考えた上で、ターゲットは?競合は?ということを考えていくのがスマートかな、と思います。逆にそう考えていったときに「これってあのサービスで解決できるよなぁ」となったときには、乗り換えることにメリットがあるか、その手間はかからないか、とかそういうことが課題になりますし、そもそも「だからこういうサービスはのぞまれていない」としてボツというのも一つの解かもしれません。
 マーケティングというのは通り一遍の作業ではないですし、売り出す理由を探す行為でもない、そういうことを理解することが売るという行為の大前提にあるのではないでしょうか。